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津野山地域について

語り部から

★語り部の人々が教えてくれた津野山郷ふるさとの歴史★
913(延喜13)年に京より藤原経高(つねたか)公がこの地に移り住み、その後自らの名を津野と変え、この山間地を徐々に開拓していった。津野荘を築き、以来687年間津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展してきた。1600(慶長5)年山内氏の所領となり、梼原6ケ村東津野3ケ村をあわせて 「津野山郷」と称した。
明治維新の変遷を経て1889(明治22)年に、梼原と越知面(おちめん)、四万川(しまがわ)、初瀬、中平、松原、この6ケ村を「西津野村」と改称し、全国屈指の大村として発足しました。
1912(明治45)年に村名を「梼原村」と改め、さらに1966(昭和41)年町制 を施行して「梼原町」となり、現在に至っている。  

日本最後の清流といわれる四万十川の上流域にあり、標高600mほどのある高地にあることから、
 雲の上の町  と呼んでいる。

太郎川公園1街の風景













【ゆすの木】
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この木がたくさん生育していたので、その文字を取って、町名を梼原と称した。







★津野山神楽★ (重要無形民俗文化財)
津野経高が入国以来、伝承された由緒ある神楽。
全部で、18種目あって、すべてを舞うには8時間余りかかる。
五穀豊穣、無病息災等を祈願して、町内の各神社で秋祭りの例祭にて奉納します。
大蛮1









★津野山古式神楽★
舞は11の素面の舞と、6つの面を付けての舞があります。
六調子という足のはこび、膝折り烏飛びなど数種の所作があり、すべての舞を奉納するには約8時間を要します。

  古式神楽1

1.宮入り(素面四人舞)
 2.みそぎ(素面四人舞)
 3.幣舞(素面二人舞)

      たぐさ
 4.手草(素面二人舞)
 5.天の岩戸(面舞一人舞)

      あくまばらい
 6.悪魔祓(素面四人舞)
 7.大蛮(面舞五方神素面六人舞)




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坂本龍馬ゆかりの地・梼原

【坂本龍馬】
1835(天保6)年11月15日土佐藩郷士(江戸時代の武士の身分階級のひとつ)父・坂本八平、母・幸の次男として生まれる。江戸の千葉定吉に入門し、北辰一刀流を学んだ。土佐勤王党に血盟加入、文久2(1862)年、勝海舟らに啓発され、同志沢村惣之丞と一緒に脱藩した。薩長同盟の締結、大政奉還の推進など、また維新の指導者として活躍したが、慶応3年11月15日、京都の近江屋で中岡慎太郎とともに倒れた。



【ゆすはら座】

ゆすはら座1
昭和23年に、公民館として建てられたものです。昔のことですから、今ほど娯楽がなかった時代でしたから、ここで映画を上映したり、歌謡ショーをやったりしていました。後に保育園としても利用していましたので、当時、花道を子供たちが走り回っていたらしいです。平成7年に、かなり老朽化してきたので取り壊そうかという話が出たようですが、総木造の芝居小屋というのは珍しいものですから、取り壊すのは非常にもったいないという声が上がって、この場所に移築復元することになりました。その様子は、壁に貼ってある写真をご覧ください。
ここゆすはら座の他に、四国には、木造の芝居小屋が、香川の金毘羅にある金丸座(旧金毘羅大芝居は、天保6(1835)年に建てられた、現存する日本最古の芝居小屋)、徳島には2軒、脇町劇場(オデオン座:昭和9(1934)年に芝居小屋として建てられ、戦後は映画館として親しまれた劇場)、貞光劇場(木造の現役の映画館として知る人ぞ知るという存在であるが、元々は実演用の劇場として昭和7(1932)年に建てられた)、愛媛県内子町にある内子座(芸能をこよなく愛する町民の熱意によって大正5年(1916年)に誕生した芝居小屋、記念すべき柿おとし興行は、淡路を拠点に活躍していた吉田伝次郎座による人形浄瑠璃だった)の4軒があります。


【茶堂】

茶堂1
梼原には客人神(まろうどがみ)信仰という、ここだけではなく、お隣の愛媛県の日吉村や城川町でも同じような慣わしがあるようです。字のごとく、遠来のお客さまはすべて神様ということで、誰でも手厚くもてなせということですね。ということで、この茶堂では、地域の人たちが交代で道行く旅人たちにお茶やお菓子をお接待していたようです。昔は50ほどの集落があって、各集落に必ず一つは茶堂があったらしいが、今は町内に13~14ほどが残っています。今みたいにテレビやラジオなどあったような時代ではないので、旅人をもてなしながら町の情報を聞いたりしていたようです。情報交換の場にしていたのでしょうね。
六志士の墓
【六志士の墓】
幕末時代に尊皇攘夷論を唱えながら、志半ばで命を失った六志士、吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、中平龍之助、掛橋和泉、前田繁馬の墓。
静寂に包まれ、整然と並んでいる。







吉村虎太郎:12歳で父(太平)の後を継いで庄屋となった。文久2(1862)年同志宮地宣蔵とともに脱藩した。文久3(1863)年9月27日26才にて大和の国吉野鷲家口で戦死。
那須俊平:山田喜馬太に槍を三木広作に剣を学んで武道に通じ道場をつくり弟子を教えた。文久2(1862)年息子の信吾が参政・吉田東洋の首級をはね脱藩すると、人に頼み槍術皆伝書を与えたのち父子とともに国事に尽くすことを約束した。元治元(1864)年6月に玉川壮吉と脱藩する。梼山源八郎と名前を変え、松山深蔵の忠勇隊に参加して上京した。堺町御門に向かい尾崎直吉とともに槍で越後・会津兵の中へ突入したが堤五一郎に討たれる。享年57歳。
那須信吾:佐川の土佐藩士・浜田宅左衛門の二男で那須俊平の養子となった。文久2(1862)年4月8日同志とともに参政・吉田東洋を倒して脱藩し、名前を石原幾之進と変え国事に尽くした。文久3(1863)年同志・吉村虎太郎たちとともに、中山忠光卿に仕え、南部行幸の先駆となるために兵を挙げた。京都五条で鈴木源内を斬り高取藩の使者となり藩主・植村駿河守に食糧、兵器の供出を求めた。しかし京都に政変があり行幸(外出)は中止され、幕軍の追討にあい大和の国・吉野鷲家口で狙撃され戦死した。享年34歳。
前田繁馬:松原の庄屋で、子どもの時藩士下元善平に書を、前田恒五郎、公文藤蔵に兵を学んだ。文久3(1863)年時局が切迫すると京に行き諸藩の志士と一緒に国事に尽くした。変名を大浪主計といい、吉村虎太郎が結成した天誅組に土佐の同志16名とともに参加した。しかし京都の政変以来、軍に勢いは振るわず軍糧を焼き捨て鷲家口へ向かった。敵軍は多く味方は次々と倒れていったが、紀州藩の陣地を突破し、旅館樫木屋で休んでいる時、津藩・町井八郎他10数名に取り囲まれて銃弾に倒れた。享年28歳。
中平龍之介:父佐平、母登根の長男として生まれ喜代次と名づけられた。文久2(1862)年藩主と一緒に上京し、さらに三条侯について江戸に行き使命を終え一応帰国した。文久3(1863)年、田所壮輔、尾崎幸之進、安藤真之助と宮野々から脱藩した。本山勝八という変名で活躍する。元治元(1864)年長州藩の志士たちともに上京し、同志・松山深蔵たちと忠勇隊を組織して京に入り、越後・会津藩と戦うが砲撃にあい重傷を負い、鷹司邸にて自刃した。享年22歳。
掛橋和泉:通称、順次といい掛橋家の養子となり神職を務めた。那須俊平に剣と読書を学び、勤王の志があつかった。文久2(1862)年尊皇攘夷の声が高まる中、同志は次から次へと脱藩して国事に尽くしていった。掛橋家は裕福だったので和泉は志士たちの資金援助を行った。後に義母に知れきびしく叱責された。その際、事実を話すと同志の秘密を知られてしまうことになる、かといって義母に嘘はつけず悩み苦しみ、死を覚悟した。同志・玉川壮吉に相談し自分の死後を託した。玉川は脱藩を薦めたが、その夜先祖の墓で銃で自らの命を絶った。享年27歳。


掛橋邸
【掛橋和泉邸】
掛橋和泉の旧邸。天井裏には姫隠しの間と呼ばれる部屋があり、近隣の同志達が集まっては国事を談じたと言われる。
 町の文化財に指定され、現在の吉村虎太郎庄屋屋敷跡に移築された。







維新の門
【維新の門】
維新の門 吉村虎太郎、那須俊平、那須信吾、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉の六志士に坂本龍馬と沢村惣之丞を加えた8名の銅像。











沢村惣之丞:高知の潮江村地下浪人の家に生まれる。文久2(1862)年坂本龍馬とともに脱藩した。勝海舟の神戸海軍塾で学び、亀山社中に加わり、坂本龍馬の右腕となって活躍した。長崎奉行が幕府軍の敗退を知り退散した後占領し、市中の治安維持に当たっていた時に、薩摩藩士を誤殺してしまった。このことで薩摩と土佐の間に溝ができてしまっては・・・と思い、自決した。











【三島神社】
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町の指定文化財。
津野山郷の開祖である津野経高は、延喜19(919)年、竹の藪より移り居城を築き梼原宮首に静岡県伊豆より三嶋大明神を観請したといわれている。伊予三嶋大明神に詣で、藤原純友の乱平定後帰国したときに、伊予三嶋大明神も観請して祀ったと伝えられている。
慶応4(1868)年3月、三嶋大明神を三嶋神社と改称。
明治40(1907)年、明治44(1911)年に梼原地区無格社21社が合祀された。
現在の本殿は享和3(1803)年、拝殿は明治23(1890)年に再建されている。拝殿の彫刻物は、山口県の大工・中本喜作氏の作。
境内には、津野家代々を祀る「津野神社」、「朝鮮松(ハリモミ)」、桂月大町芳衛書の「鎮座千年碑」、木で造られた「神馬」もある。

 彫刻物2 
 彫刻物1










【韮ヶ峠】
韮が峠1

【千枚田】
見晴らし台より